ほのぼの(2009)

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「私、今日、後輩から『先輩が何を考えているのかわかりません』と言われたんだけれど、そんなに私って何を考えているのかわからないように見える?」
「瞳は、一般的に言うと、感情が表情に出ないタイプだから」
「そう、かぁ」

 中ジョッキを両手で持ったまま肩を落とすと、ぽんぽんと雅人は私の頭に軽く手をおいた。

「だいじょうぶ。瞳は何を考えているのかわからない人間ではないよ」

 無表情で能面みたいだと、幼い頃からよく言われていた。親からも言われたときにはちょっとショックだった。楽しくても、嬉しくても、怖くても、悲しくしても、そうは見えないようだ。
 先日、仕事中に窓からセミが入ってきただけでもビックリしたのに、「冷静に傍観していましたよね」と、例の後輩に言われてしまった。私、そんなに、表情が乏しいのかな。

「そういえば、雅人は私の考えていること、よくわかるよね。今日だって、帰りに声をかけてくれたし」
「付き合いが、長いからなぁ」

 大学時代から始まり、同じ会社に勤めている同期という関係。部署は違うけれど、たまにこうして一緒に帰ることがある。
 今日は後輩のことがあって落ち込んでいたから、声をかけてもらってとても嬉しかった。こんなふうに居酒屋で愚痴を聞いてもらえて、本当にありがたい。

「その後輩は、瞳のことをそんなに深く知らないんだよ。そして、そういうことを言って瞳がどう思うのかを、理解していない子どもだ。ガキなんだよ」

 鶏皮のカリカリ揚げを頬張りながら、雅人が箸を振り回している。彼が珍しく怒っている。私はあわててフォローする。

「あ、でも、悪い子じゃないよ」
「そうだろうな。でも、俺はそうは思わない。瞳が人一倍傷つきやすくて、繊細であることを、その後輩は知らなさすぎだ」
「まぁ、その子、異動してきて日が浅いし」
「だったらなおさら、先輩には気を遣わないといけないだろ。だいたい、瞳のどこを見てそう思うんだよ。こんなにわかりやすいのに」

 そう言う雅人こそ、表情がとても豊かだ。喜んだり、楽しんだり、悲しんだり、雅人が何を考えているのか、すぐにわかる。
 そして、私はそれにつられて、喜んだり、楽しんだり、悲しんだり、するんだ。

「雅人は、どうしてそんなにくるくる表情が変わるの?」
「俺? 結構、無愛想だぜ?」
「嘘。だって、雅人がどんな気持ちでいるのかなんて、すぐにわかるよ?」
「それこそ、嘘だろ」

 生ビールを飲み干して、雅人は笑っていたけれど、それは口元だけ。目が笑っていない。

「今、雅人は悲しそう」
「あたり」
「ほら、すぐわかるよ」
「じゃあ、なんで、悲しそうなのか、わかる?」

 それは非常に難しい質問だ。

「わからない」

 何を考えているのかわからない、というのは、私ではなくて、彼に当てはまりそうだ。
 私はカウンターの向こうに雅人のための生ビールを一つ注文する。それにしても、今日は雅人のちょっとペースが速い。

「即答かよ。少しは考えてから答えてくれよ、瞳。いや、考えなくてもいいから、少しは感じてくれよ」
「だって、本当にわからないもの」

 雅人が悲しいと、私まで悲しくなってくる。

「お前も、その後輩と同じだよ。相手に興味を持たないと、理解なんて一つもできないよ。所詮他人なんだから、知ろうとしないと近づけないだろ」

 そう、ね。雅人の言うとおり。
 興味を持って、相手を知ろうとしないと、何もわからない。

「そう。瞳は、俺に無関心なんだ。わかった?」
「ひどい。そんなことないよ」
「あるよ」

 手渡された生ビールを一気に半分くらい飲んで、雅人は笑った。

「大学で三年、社会人になって三年。合計六年」
「え?」
「俺が瞳に恋をしている時間」
「……え?」
「知らなかっただろ。どうする? 無関心じゃいられなくなったぞ」

 ハハハ、と雅人は笑ってビールを飲んで。

「まぁ、でも、そんなに驚いている瞳を見るのは、はじめてだな。ほら、そのぽっかりあけた間抜けな口をとじろ。だから、お前は、全然、無表情じゃないって。心配するな」

 雅人の、その、幸せそうな表情に、私は、つられて笑って。

「好きなひとの前では、誰だって、ずっと笑っていられるだろ。本当は無愛想な俺の表情が、豊かだって? それは、瞳が隣にいるせいだよ。気づけよ、バカ」

 二の句がつげずに口だけをぱくぱくさせている私を見て、耳まで真っ赤にした彼は笑う。

「鯉みたいだ」

 いや、雅人、これはたぶん、恋じゃないかな。

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