「……帰りますか? 酔いを醒ましますか?」

 会計後、二人は店の外に出る。さすがに後輩と割り勘にすることはできないので、絢の財布から支払った。
 時刻は既に二十二時。終電にはまだ時間があるが、雨が降り出しそうなほど上空は淀んでいる。
 赤ちょうちんの下、絢は酔っ払いを見上げる。彼女は全く酔っていない。慎介は「うぅん」と唸りながら真っ赤な顔で絢を見下ろす。酒のせいで赤いのか、別の意味で赤いのか判断はできない。
 絢の場合、食事とセックスはセットだ。美味しいご飯をご馳走になったあと、ベッドで自分の体を食べてもらう。さらに美味しい数字のために。
 慎介の場合はどうだろう、と絢は考える。付き合うことになったので早速ラブホへ行きましょう、と言われても不思議ではない。何しろ、セックスから始まった――らしい関係だ。絢は覚えていないが。

「こっちに、行きましょう」

 慎介が指差したのは、ラブホ街とは反対方向だ。慎介が使う路線の駅があっただろうか、と絢は疑問に思いながらも彼についていく。雨が降り出しそうな天気だが、酔っ払った後輩は気づいていないようだ。
 手を繋ぐべきかどうか絢は一瞬だけ考えたが、やめておいた。セックスの最中ならいくらでも触れられるのに、服を着ているときに触れ合うのは何だか心が落ち着かない気がするのだ。

「博波堂の専務と、AGネットラボラトリーの社長と、花花商事の営業部長は、必要ですか?」

 なるほど、よく調べてあるなと絢は感心する。いずれも、今絢が「お付き合い」をしている人物だ。もちろん、裸と数字のお付き合いだ。

「必要かと聞かれたら、別に必要ではない、ですね。もう大きな数字は見込めませんし、惰性での付き合いになっていますから」
「では、今後の付き合いを控えてもらえると嬉しいです」
「それは命令ですか?」
「願望です。控えて欲しいという」

 願望かぁ、と絢は少し残念な気持ちになる。惰性の関係を断つには、命令されたほうが楽ではあるのだ。仕事と同じ。「やれ」と言われたらやるしかないのだから。
 慎介は絢のことを調べてはいても、心の機微までは理解していないのだろう。
 慎介は小さな公園に絢を誘う。ブランコや滑り台、きのこの遊具などがある公園には誰もいない。どうやら酔いを醒ましたいらしい慎介は公園の隅にある木製のベンチに座る。絢は公園の入り口にあった自販機でコーヒーと炭酸飲料を買い、慎介の隣に座った。

「ありがとうございます」
「あげる、とは言っていませんよ」
「……河合さんて意地悪ですね」
「よく言われます」

 炭酸ジュースを慎介に手渡し、絢は缶コーヒーを飲む。冷たくほろ苦い液体に、なぜかホッとする。休憩時間にコーヒーを飲むことが絢のルーティンだからなのかもしれない。
 夜の公園に人はいない。雨が降りそうな天気だが、折り畳みの傘を持つような真面目さは絢にはない。降り出したらコンビニでビニール傘を買うか、濡れながら帰るか、だ。幸い、明日は土曜日。会社は休みだ。
 炭酸飲料を半分くらい飲んだあとで、「お返しします」と慎介がパライバトルマリンのピアスを絢に差し出した。絢は驚いて慎介を見上げる。今日は驚いてばかりだ。

「俺が持っていても仕方ないですから」
「じゃあ、山中くんがつけて」
「えっ? 俺がですか? え、えっと、どうすれば?」

 慌てふためく慎介の姿を見て、絢は笑う。男にピアスをつけてもらうのは実は初めてだ。街灯の明かりも乏しい暗闇の中、右耳の耳朶が慎介によく見えるように絢は髪をかき上げる。
 震える指でキャッチを外し、「痛かったら言ってください」と処女を相手にするかのような台詞で耳朶に触れる慎介に、絢は何となくくすぐったいような気分になる。耳朶のホールを真剣な表情で見つめている慎介がおかしくて仕方がなくて、絢は必死で笑うのを我慢する。

「入り、ました」
「ふふ、ありがとうございます」

 キャッチをポストに通して留めたあと、未だ離れようとしない慎介を絢はじぃと見つめる。目が合うと慌てて逸らして離れようとする慎介の太腿に、絢はそっと手を置く。慎介の体が硬直するのを、絢はただ面白い、可愛いと思う。

「どうですか? 似合いますか?」
「は、い、とても。河合さん、近い、近いです」
「山中くんはキスしたくないのですか?」

 慎介は目を見開き、動揺している。それでも絢は細い目だなぁと感心するだけだ。ちゃんと見えているのだろうか不思議に思う。

「したい、です。できるなら、その」

 お前は童貞か、と心の中で突っ込みながら、絢は慎介の唇に噛み付くようなキスをした。
 炭酸飲料の甘いレモンがコーヒーと混ざる。酷い味だと思いながらも、不思議と二人の唇は離れない。どちらからともなく舌を求め、距離を詰め、ゆっくりとお互いに火を灯し始める。
 しかし、柔らかく最低な味のキスは、空から落ちてきた水滴によって終わりを告げた。

「やだ、うそ、降り始めちゃった?」

 ゴロゴロと雷の音が鳴り響き、雨はいきなり激しく地面を打ち始める。ゲリラ豪雨だ。
 遊具とベンチだけの公園に雨宿りをするような東屋はなく、二人は仕方なくきのこの遊具の中に身を隠す。モルタルで造られているきのこの中は空洞で、かさの一部分には丸くて小さな窓が開いている。子どもたちが顔を出すために開けられた小窓から雨が落ちてくるものの、中は比較的広く、腰掛けられる場所もあり、一時的に雨を凌ぐには十分だ。

「なかなかいいですね、ここ。なんか童心に返る感じ」
「秘密基地みたいですね、確かに」

 砂を払い、鞄と脱いだジャケットをきのこのヒダのベンチに置くと、窮屈そうに体を縮めた慎介がタオルハンカチを絢に差し出してきた。「ありがとう」と受け取り、髪を拭く。シャツのボタンを外し、胸元を拭こうとすると、慎介は慌てて視線を逸らす。別に見てもいいのに、と絢は笑う。絢は羞恥心などといった大層なものは持ち合わせていないのだ。

「あっついなぁ」と呟いて絢は小窓から外を見る。雨は降り止みそうにない。このあたりは飲み屋街でもなく大通りに面しているわけでもないので、今外に出てもタクシーは捕まらないだろう。
「飲みますか?」と慎介から差し出された飲みかけの炭酸ジュースを一口もらう。シュワシュワと弾けるレモンの味。悪くはない。
 キスはレモンの味、というワードを使い始めたのは誰が最初なのだろうと絢は思う。都市伝説か、コピーライターか。レモン味の何かを売るためのフレーズなのかもしれない。ただ直前に飲食したものの味にキスを印象づけるなんて、何とも粋なキャッチコピーじゃないか、と絢は笑う。

「……河合さん?」
「レモンとコーヒーは合いませんね」
「え?」
「レモン味のキスの続き、します?」

 パアと破顔した慎介に、絢は立ったまま口づけを落とす。慎介の首の後ろに手を回し、濡れたシャツをするりと撫でる。絢の背中に慎介の熱い腕がぎこちなく回され、おずおずと抱き寄せられる。女に触れることに慣れていないのか、慎介の腕は震えている。
 童貞か、と絢は納得する。「何回か女の子と付き合いましたけど、その人のことが全然忘れられなくて」と慎介は言っていた。心のないセックスを繰り返していたのなら、「心の童貞」と言ってもいいのかもしれない。心の童貞、という言葉を絢は気に入った。
 震える腕に抱きしめられたまま、絢は濡れたシャツの合間を縫うように腕を下へと降ろしていく。そして、ズボンの下で存在感を主張している膨らみに触れる。

「かわ、っ、あ、ダ」
「ダメですか?」
「ダメじゃな、ですけど、ダメです!」

 何だそれ、と絢は笑う。慎介は真っ赤な顔で絢を睨んでいる。それは仕事中に見せる顔とは違う。絢はようやく気づくのだ。彼が絢を睨んでいたのは、忘れられたことにいじけていたからだ、と。
 絢は慎介の固く張ったものに優しく触れる。太さを確かめるように手で扱くと、慎介は甘い吐息を零す。絢は満足そうに笑う。

「キス気持ち良くないですか?」
「気持ち、いいです」
「もっとしたくありません?」
「したい、です。でも」
「もっと私に触れたくないんですか?」

 ここではなくてベッドで、と言われることは絢もわかっている。意地が悪い性格であることは、絢自身も理解している。
 けれども、絢は目の前の気持ちいいことを我慢して、ホテルを探しながらこの雨の中を歩くことを面倒だと思う女であった。

「ねーえ、山中くん」
「かわ、い、さ」
「八回目、したくないんですか?」

 残念そうに慎介の耳元で囁くと、彼の喉がごくりと鳴る。絢はそれを「承諾」と受け取った。
 つるつると滑る革のベルトに手をかけ、ピンを外して帯革を緩める。慎介から強く拒絶されないことに気を良くして、絢はズボンのチャックも引き下ろす。グレーのボクサーパンツは、大きな染みを作っている。それが雨のせいではないと絢は知っている。

「んー、たくさん濡れてますね」
「河合、さ」
「ダメ?」
「やっぱり、ダ」

 彼は大変真面目なんだろうなぁと思いながら、絢は慎介の唇を塞ぐ。反対に、絢は大変不真面目な女なのだ。
 ボクサーパンツの中に右手を滑り込ませ、ヌルヌルと濡れた先走りごと、熱く滾る亀頭を撫でてやる。びく、と体を震わせる慎介を見下ろして、絢は笑う。慎介のそれは案外と大きく、挿入したらどんなに美味しいだろう、と期待できそうなものだった。

「こんなに硬くしているのに? こんなに濡れているのに? ダメ?」
「っ、あ」
「私はもう、準備万端なんですけど」

 絢はフレアスカートをたくし上げ、慎介の太腿の上に跨がる。パンツストッキングではなくただのストッキングを好む絢は、ショーツのまま慎介の尖端に自身の秘裂を宛てがった。
 熱い肉の感触に、体の芯が歓喜する。早くそれを受け入れたいと体のどこかが要求しているかのようだ。
 慎介は首を左右に振り、うわ言のように「ダメです」と繰り返している。しかし、強い拒絶はない。本能と理性がせめぎ合っているのだろうと絢は予想する。

「山中くんの、挿れてもいいですか?」
「ダメ、です」
「欲しいんですけど」
「ダ、メ」

 絢はショーツをずらし、慎介の尖端に割れ目を宛てがう。その熱にお互い溜め息が零れる。絢はゆっくりと腰を前後に動かし、亀頭だけを虐め始めた。慎介はびくびくと体を震わせて耐えている。

「ビクビクしちゃって、可愛いですね」
「かわ、い、さん」
「何でしょう?」
「この体勢だと、俺、その」

 中に出してしまいそうで、と消え入りそうな声で慎介が告げるのを、絢はニヤニヤしながら見つめている。ピルを飲んでいることを話すべきかどうか、少し考えているのだ。

「ゴム持っていますか?」
「すみません、持っていません。だから、買って来るまで待って、ほしいです」
「想像の中で君は私を何回犯して、何回孕ませたんですか?」
「かわっ、い、さ」

 蜜口に少しだけ尖端を迎え入れる。想像していた通り、熱くて硬くて、かなり太い。五年前の絢が一晩で七回も欲しくなるモノなのだろう。

「何十回? 何百回?」
「ほんと、ダメです! 俺、すぐ出ちゃいますから!」
「いいですよ、出しても」

 絢はピルのことを話すのをやめた。慎介に罪悪感を抱かせたままのほうが面白いだろう、と判断したのだ。
 ついでに、小さなこだわりもここで捨て去る。このセックスは仕事ではない。敬語は不要だ。

「ねぇ、慎介」

 耳元で快楽のほうへと誘惑する。理性なんて必要ない、と誘う。

「奥にいっぱい、ちょうだい」
「っあ、絢、さんっ!」

 強く抱きしめられると同時に、剛直が隘路を割った。十分に濡れた絢が痛みを感じるほどに、硬く太い熱杭だ。一気に貫かれ、激しく揺さぶられ、願い通りに奥を穿たれる。

「絢さん、絢さんっ、俺、っ」

 絢は、この痛みを思い出す。五年前、確かにこの太くて長い肉杭を受け入れたことを、体は覚えていた。気持ち良くて、何回もご馳走になった。七回の内訳も思い出した。あのときの相手が彼だったのか、と絢は納得する。
 雨の音に、卑猥な音も声もかき消されて外には漏れていない。しかし、狭いきのこの中でそれらは反響し、お互いの耳によく届く。煽られているような気になる。

「好きです、絢さんっ」

 慎介の真っ直ぐな言葉に、きゅうと胸が締めつけられる。セックスをする相手はいても、そこに愛はない。最近は「好きだ」と言われながら抱かれることなどなかった。ずいぶん昔に忘れてしまった何かに、慎介がそっと火をつけた。
 絢は自分の名前を呼び続ける慎介を見つめ、微笑みながらキスをした。

「キスしながら動くの、好きだったよね? 気持ちいいって感動してたの覚えてる」
「絢、さん、もでしょ?」
「うん、好き」

 混じり合って、溶け合ってしまいたい。五年前にもそう思っただろうか、と絢は記憶を探る。しかし、そのあたりは思い出せない。痛くて気持ちのいいセックスをしたことだけ覚えている。

「絢さん、絢さ、俺、もう」
「いいよ、慎介。おいで」

 慎介は絢の腰を強く掴み、奥深くを穿つ。絢は慎介の舌を吸いながら、ただ静かにそのときを待つ。
 やがて、慎介が大きく腰を動かして、絢の最奥へと何度も何度も滾りを吐き出した。震える慎介の背を優しく撫でながら、絢は少しチクチクする頬へと唇を寄せる。
 荒い呼吸を繰り返す慎介は、絢の肩に額を乗せ「最低だ」と一言呟いた。最高に気持ち良かったけどなぁ、と絢は不思議そうに慎介を見下ろす。

「最低?」
「気持ち良すぎて、絢さんの中に……あああ、もちろん、責任は取らせてください! 仕事、頑張るんで!」
「じゃあ、できちゃったら、よろしくね」
「は、はい!」

 雨は止みそうにない。
 膣内に熱杭を挿入したままキスをしていると、自然に肉杭がまた硬度を増してくる。「元気だねぇ」「若いですから」と笑い合いながら、もうレモンの味などしなくなったキスをする。

「フェラで二回、騎乗位で二回、後背位で二回、立ちバックで一回、だったよね?」
「はい。八回目は座位……正常位がありませんね。すみません」
「明日はどうせ暇だし、五年分の勉強の成果を見せてくれるんでしょう?」
「え、いいんですか?」

 パアと顔を輝かせた慎介に苦笑して、絢はゆっくりと腰を動かし始める。太くて硬くて長くて回復力がある、という代物には最近は縁がなかった絢だ。年上すぎる男たちを相手にしていたので、一晩で何回もというわけにはいかなかった。若いって素晴らしい、と笑う。

「明日一日使って、どうやって私にたどり着いたか、順番に教えてよ。ストーカーの日々の詳細を」
「……ダメです、恥ずかしいので」
「じゃあイカせてあげない」
「わかりました! 白状しますから!」

 ちょろい恋人だなぁと笑いながら、舌を求める。簡単に絆されている絢も十分にちょろいのだが、自分のことは棚に上げる女なのだ。

「異動願い出して良かった……今日、絢さんがパライバつけて来てくれて、本当に良かった」
「まぁ、私もパライバが戻ってきて嬉しいよ」
「……アレキサンドライトのルースはまだちょっとプレゼントできないです」
「高いからね。でも営業頑張れば手当てつくし、夢ではないよ。あ、私、宝石は自分で買うから気にしないで」
「いえ、いつか俺が買った指輪をつけてもらうんで」

 楽しみにしてる、と絢が笑うと、慎介はぐいと腰を引き寄せて何度もキスをする。

「絢さん、好きです」

 慎介に抱く感情に未だ名前はつけられない絢だが、いつか「恋」や「愛」に変わるような気がしている。昔、必要ないと切り捨てた感情が戻ってくるのは不思議な感覚だ。
 しかし、やはり絢は現金かつ宝石好きなので、色石のルースから指輪を作る日が来るのを待ち遠しく思っているのも事実。今年度の社長賞を慎介に取らせて金一封をその資金に充てようと考えながら、絢はただ目の前の快楽を貪るのだ。

(このカップルはまたどこかで書いてみたいです。女性上位、楽しい)

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